「二ノ切池公園」について
東豊中にある「二ノ切池公園」は、かつて農業用水として使われていた池を整備してつくられた、緑豊かな公園です。
今回はそんな二ノ切池公園をのんびりと散歩してきたので、その様子を紹介していきます。

ニノ切少年球技場
公園の一角に、「二ノ切少年球技場」が整備されていました。
ベンチやスコアボードがあり、主に「少年野球場」として利用されているようですね。

ちさとキャッチボールしようよ。



無理や、肩が上がらなくなる!



・・・。
どんだけ貧弱やねん。


年季の入ったスコアボードが、今も子どもたちのプレーを見守り続けています。


静かなグラウンドでの一枚。
地面に転がるボールを眺めて、つい感傷的な気分に浸ってしまいました。
ほのかに香る秋。


紅葉が色づき始めた季節での散歩は、とても清々しい気分でした。
そしてこの時期と言えば、あの香りをキャッチ!
キンモクセイの香りを楽しむなら、この公園がうってつけかも知れません。


二ノ切温水プールの前を抜け、府道2号線沿いを通り公園を周回するコースで歩いています。
このまま進むと、名前の由来となっている「二ノ切池」が見えてきます。
二ノ切池


二ノ切池の外周を歩きます。
2つの噴水の奏でる音が、とても心地よく感じました。



噴水の音を聴きながらジョギングとか、捗りそうじゃない?



せやな!
ファイトやで、ちさと!



お姉ちゃんが走るの!



なんでウチが!!


池の外周から公園に戻る手前の位置に「二ノ切池謝恩碑」が建立されていました。
裏に記された碑文を読むと、この池の歴史をうかがい知ることができます。
謝恩碑からひもとく、二ノ切池の歴史
二ノ切池の起源がいつに遡るのか、正確には分かりません。
しかし碑文によれば、平安時代末期から鎌倉時代にかけてすでに初期の溜池が築かれ、農地とともに広がっていったのではないかと記されています。
そして時は流れ、「江戸時代」。
幕府による検地が行われ、この地域にも「新田開発を進めよ」との命令が下されました。
新田開発や池の拡張は、当時の人々にとって大変な苦労を伴うものでした。
この「二ノ切池謝恩碑」は、こうした先人たちの努力とその恩に報いる感謝の思いを永く人々に伝えるため建てられた、ということです。


阪大修学館を見学したときもそうでしたが、「いまの豊かさは、やはり先人たちの努力あってこそのもの」。
今回の散歩でも、その思いをしみじみと感じました。



お姉ちゃん、ズボンと靴に大量のひっつき虫が!





ギィヤアアア!!ゾゾゾゾゾゾ(鳥肌)
周りの草むらに入ってもうたからか!!
滑り台


公園に設置されている遊具の中で目を引いたのは、小ぶりながらアスレチック要素のある滑り台。
頂上には見晴らし台が搭載されており、まるで要塞か戦艦のようで、少しだけ童心をくすぐられた気がしました。


こちらは頂上側の様子。
奥にはブランコが設置されており、ご家族で遊びに来られている姿がありました。
緑の中に映える赤い柵が、ひときわ鮮やかできれいに感じました。
バラ園


二ノ切池公園の見どころのひとつが、このバラ園です。
バラといえば5月のイメージがありますが、ここでは秋にも美しい花が咲き誇っていました。


そしてバラは、「豊中市の市花」でもあります。
そのため市内には多くの「バラ園」が整備されており、人々の憩いの場として親しまれています。


案内板によると、このバラ園は米国の「サンマテオ市」との姉妹都市提携を記念して寄贈・整備されたものだそうです。
ちなみに豊中市は、「沖縄県沖縄市」とも兄弟都市だったりします。
遠く離れた街同士が、こうしてつながっていると思うと、ちょっと感慨深いですね。



サンマテオってどんなトコや?



カリフォルニア州のシリコンバレー北部にあって、郊外の住宅地ではあるんだけどIT企業も多いんだって。



へぇ~。



「YouTube」もそこで設立されたそうだよ。



いーッッ!?
まとめ
今回は、二ノ切池公園を散歩した記録をお届けしました。
記事を書くたびにその場所のことを少し調べてみるのですが、この公園の歴史がなんと平安時代まで遡ると知って、本当に驚きました。
さらに「サンマテオ市」や「沖縄市」といった、まさかのワードまで登場。
思っていた以上にスケールの大きいお話になりました。
・・・こうなると、次は沖縄市やサンマテオ市のことも書きたくなりますね。
フフフ、思わぬ形でブログネタが増えた😏
最後までお読みいただき、ありがとうございました!



帰りに古本市場寄ってかない?



いーねー!







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